生きるってなんだろう。

 井野口、HANA、がんばれ。
 他人が完全にわかることというのは、例え一番身近な人間でも無理なことだ。
 だから、がんばれ。苦しんだっていいじゃない。友達を抱きしめたっていいじゃない。 
俺は何も言えないから。
俺は記憶の扉が開くというよりは、傷が痛み出す感覚かな。
また前の話になるけど、中学のときは、ひとつ嫌なことがあって、苦しんで苦しんで。それが一段落ついてたとき、成長できてた自分がいたように思う。
でも、違うんだよね。高校以降の苦しみって、そういうものじゃない。
乗り越えられたからって、成長できるものじゃない。それは少年の特権なのかもしれない。
これが仮説1。成長してる実感がない。その自信もない(前はあった)ことから惹起される。
仮説2。もっと包括的な部分で成長してる。気づかないくらい。
仮説3。そこまでのことを経験してない。これはケースバイケース。




話は変わるけど、昔、というか約11年間、夢のために生きていた。
夢を見つけたのが小2だから、それ以降かなぁ…。あとはそれに沿った人生設計のためにまっとうにグレもせず生きてきた(中学で精神的にグレたけど)。
夢のためにいろいろ犠牲にした。やりたいことも。
ある意味、縛られてたのかも。この生き方はやはりお薦めしない。いや、夢によるけど。
んで今年夢を失って、その後今の大学に入って…

なんのために生きている?

たしかにそんな事考えないで生きてる奴は世の中にたくさんいる。でも、俺にとっちゃ、それが全てだ。今まで人生の大半をそれで生きてきたのだから。

死のうか?

無気力な春。

結局数ヶ月かけた答えは結局「他人のために生きる」だった。
世の中には生きたくても生きれない人がたくさんいる。
飢えで死んでしまう人も。その人たちのためにも生きようと思った。
これは夢が、兄貴の分も俺がやらなくてはと考えて夢を決めた部分にも似ている。

数日後、ふと考えた。「自分のために生きるってなんだ?」
結局自分のために生きなければ人間としての活力は結局生きられないので、とわかる。なぜならそんな奴は就職面接で落とされるからだ。
夢?そんなものない。自分にとって、あれが全てだった。それ以外に考えられない。
いま見ている「目標」は、もともと仕方なく決めたものだ。本意ではない。

それを6月くらいからずっと考えている。いわば命題。答えはみつからないし、こんなこと友達にまじまじと話すものではない。現に、先輩と友達に馬鹿にされた。



これからそれが全て覆されるかもしれない。
例えば、死ぬのが怖い、だとか…。

井野口、HANA、がんば。